岸田理生について

岸田理生

岸田理生

劇作家、演出家。本名は林寛美(はやしひろみ)。1946年長野県岡谷市に生まれる。1973年に演劇実験室・天井棧敷の公演『地球空洞説』に参加し、翌年に入団。寺山修司の協働者として台本作成に携わるほか、演出助手、機関紙の編集などを行う。並行して早稲田大学演劇研究会に戯曲を提供し、1977年には公演『洪水伝説』で「哥以劇場」を旗揚げし、座付き作家となる。

1981年の劇団解散後、身近な数名と共に「岸田理生事務所」を立ち上げ活動を継続。やがて和田喜夫が演出を務める「楽天団」との協働を開始し、1983年に「岸田事務所+楽天団」を結成。『糸地獄』(1984)は第29回岸田國士戯曲賞を、『終の栖、仮の宿――川島芳子伝』(1989)は紀伊國屋演劇賞(個人賞)を受賞した。劇団外への作品提供も増え、映画『1999年の夏休み』の脚本は熊本映画祭シナリオ賞を受賞した。やがて『糸地獄』の海外演劇祭招聘が視野に入ると海外を意識し、ハイナー・ミュラーの研究会「ハムレットマシーン・プロジェクト」に参加。李静和の案内で訪韓し、韓国の演劇人との交流も始まる。

1993年の「岸田理生事務所+楽天団」退団後は、「岸田理生プロデュース」の形で活動。国際交流基金が企画したオン・ケンセン演出『リア』(1997)をきっかけに、アジア諸国のアーティストとの交流も増える。この時期の作品は「国境を越える演劇シリーズ」と銘打たれており、植民地支配と言葉の剝奪を描いた『鳥よ 鳥よ 青い鳥よ』(1994)や『ソラ ハヌル ランギット』(2001)などがある。また、天井棧敷の時の戯曲『身毒丸』を岸田が書き直した作品が蜷川幸雄演出で上演され、再演を重ねた。

他に、劇作家同士の横の繋がりの構築にも尽力し、「第1回アジア女性演劇会議」(1992)の実行委員を務め、「第3回アジア女性演劇会議」(2001)では急逝した如月小春の意思を継ぎ実行委員長を代行した。

岸田逝去後の2004年6月、「哥以劇場」時代からの岸田の協働者・宗方駿が代表を務める「理生さんを偲ぶ会」の主催・企画で「岸田理生作品連続上演」が開催。以降、毎年6月頃を中心に岸田の作品上演が行われている。