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二人ぼっち(初演)

2人の「ここに居る」女たちが、会話し、歩き、コンビニでおにぎりを買い、食べる。合わせ鏡のような2人の動態的な関係性を、マイミストの羽鳥尚代と俳優の雛涼子が舞台上に浮かび上がらせる。

初演情報

劇場:横浜STスポット
日時:1995年1月20日~22日 
演出:岸田理生/諏訪部仁
出演:羽鳥尚代/雛涼子
音響:須藤力
照明:竹廣零二

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写真資料

上演写真

チラシ

二人ぼっち横浜チラシ

劇評

以下書き起こしです。

引力と斥力の狭間で
一岸田理生カンパニー『二人ぼっち』ー

大岡 淳(商品劇場主宰)

 暗闇の中に西日を思わせる一条の光が射し込むオープニングによって、一切の装飾を排しSTスポットという素材を活かし切ったこの空間は、どうやらアパートの一室であると知れる。登場人物はその一室で共同生活を営んでいる二人の女性。短く交わされる会話は、この二人の間に軽い齟齬(そご)が兆していることを我々に告げる。全編通してごくわずかしか現れない台詞のやりとりは、二人の関係の距離、背反、そして対立を示すばかりであり、言葉はみな斥力に彩られている。我々は、名うての劇作家として知られる岸田理生がここまで言葉というものの働きを切り詰めてみせたことに、微かな驚きを覚える。
 しかし二人の関係は断絶ばかりが際立っているわけではない。言葉が斥力を纏うのと対照的に、仕草は引力に貫かれている。「劇的」な展開など一切生起せぬままに淡々と繰り返される二人の遊戯の如き行為の数々は、どれも融和の色合いを帯びたものである。
 とすれば、ルームメイトという言い回しから一歩踏み込むなら、二人の関係は何と名指されるべきなのか。友情? 確かに二人は、いっぱいの風船を膨らまし、投げ合い、割るという戯れにしばし我を忘れるのであってみれば、二人は無邪気で残酷な子供の友情を結んでいると見える。だがそれも長くは続かない。では恋愛? なるほど二人が互いの身体をまさぐり合う光景は同性愛的と言えなくもなく、その限りで二人は性的な大人の恋愛を形作っているとも受け取れる。しかしそれとて予想される深みや争いへと進みはせず、言わば界面をなぞることに終始する。
 つまるところ二人は二人の関わりを、友情とも恋愛とも受け取られることを拒んでいるのだ。こうした危うい関係は、しかし容易に名指されうる関係へと転ずる脆さを秘めてもいる。例えば彼女らは「男」と出会い「恋」に堕るかもしれないし、「家」なるものへと立ち返るかもしれない。いやそもそも彼女ら自身が、互いに対して今にまさる愛憎を抱くやも知れぬ。
 だが舞台は、融和と断絶の、引力と斥力の狭間をか細く辿り切り、複数のオルゴールが同時に別々のメロディを奏でる中、協和と不協和のあわいを揺れて幕となる。二人は「二人ぼっち」のままだ。ここに至って、「二人」でありながら「ぼっち」であるという矛盾に執着する二人の闘いが一体何に向けられているかと我々が問い始めるなら、この閑寂とした芝居は一転して俄かに劇的な印象を結ぶことになろう。
 最後に、マイミスト羽鳥尚代と女優離涼子が、出自の違いもあってか、絶妙なる味わいをもって協和と不協和のあわいを紡ぎ出していたことを付け加えておく。

ST通信10号 1995年2月5日発行
編集・発行 STスポット